久々に衝動的に「読まねば」と思って買いに出て、その日のうちに読み終わった。
まず帯がいい。
「いやだったこと、いたかったこと、しあわせだったこと、あいしたこと、一生わすれたくないとねがったこと」
「かいていったらなっとくできるかな、わたしは人生をどうしようもなかったって。」
死にたいと願いながら老いない身体になってしまった主人公が、これまでの人生と、今はもういない家族のことを語る(ように書く)お話。
始まりからほとんど平仮名で書かれていて、話もどこか拙い、読みにくいこの感じが、彼女の読みにくい心情のようで、表現としてとても良いな、と思った。
半分人間でなくなってしまった彼女の語りは、淡々としてるんだけど妙な人間らしさが残っていて、普通なら結構重いと感じるような内容なのにどこか気の抜けた感じ、自分のことなのに距離がバグってる感じがする。
だけど、後半はあまりに切実で苦しくて涙が出た。
「じんせいでたったひとつでいいから、
わたしはまちがってなかったっておもうことがしたいんです。」
途中、彼女は住処を出て旅をし、彼女よりさらに進化した不老の人々(いわば新人類)のコミュニティに出会う。
文章も、手書きから音声認識のデバイスに変わって、漢字が適切に使われた普通の文章になる。
話の内容は変わらんけど、急に読みやすくなってスラスラ進んでしまうせいか、彼女がコミュニティに染まってしまうような気がしてなんかちょっと温度感が変わった気がした。
彼女はここで、トムラさんという女性に向かって家族史を話し続ける。
人を人たらしめるものはなんだろう。
生物的な営みをなくしたって、彼女は結局最後まで人だったような気がする。
幸福を求めることや種の保存・繁栄は、生きる意味や目的としてよく挙げられるもので、トムラさんたちは究極まで無駄を省いて純粋にそこにフォーカスしてる。
愛は素晴らしく、幸福こそ人生の目的である。
それはたぶんそうで、だからトムラさんに5人の恋人がいたって愛は素晴らしいんだから別にいいという理屈も間違ってるとは言わない。
ただ私がトムラさんたちにあまり「人間」を感じなかったのは、それがそういう「理屈」の上で管理されている気がしたから。
彼女は愛や幸福のすべてに明確に理屈を持っていて、迷いなく語る。
対して主人公は「私の歪んだ自己愛が恋人の人生を壊した」ことをずっと考えている。
淡々と、でもずっと迷っている。
これでよかったのか?
私は彼の人生を奪ったのではないか?
もっと、なにか他に道はなかったのか?
これでよかったんだ彼は最期にしあわせだと言ったんだから、という気持ちがありながら、そんなふうに思うことが、自分を許そうとする自分が、自分を苦しめる。
「じぶんをゆるさないことでしか、ほんとうのいみで、じぶんをゆるせないんです。」
「わたしは、このよでわたしだけは、わたしがやったことを、きちんとみつめなければいけないとおもうんです。」
「わたしはこれいじょう、じぶんをきらいになりたくないんです。」
あのとき。
人間であることを半分捨てたとき、なにもかもいっしょに捨ててしまうべきだった。
関わらないという形で、彼の愛すべき人生を広く豊かなものにしてあげるべきだった。
だけどもう時間は戻せない。
だから見つめ続ける。自分のしたことを。
そうやって生きることで、私はこれからの私を救いたい。
私はこれをこそ愛と呼ぶ気がする。
自己への愛、他者への愛。
私には彼女がものすごく純度の高い「人間」に見える。
最後のシーン。
透き通るように明けていく夜が目に浮かぶ。
身体が動かなくなるまで、最後の旅に出る彼女の目に映る世界はたぶん限りなく綺麗だ。
人を人たらしめるもの。
それがこの旅の背中を押すんだと思う。
読んでよかった。
寝る。